怪奇小話★異郷の空
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Intimations of Immortality
幼年時代を追想して不死を知る頌(しょう)
-五-
我らの誕生はただ眠りと前生の忘却とに過ぎず。
我らとともに昇りし魂、生命の星は、
かつて何処かに沈みて、
遙より来れリ。
過ぎ去りし昔を忘れしにはあらず、
また赤裸にて来たりしにもあらず、
栄光の雲を曳きつつ、
われらの故郷なる神のもとより来りぬ。
我ら幼(いと)けなきとき、天国はわれらのめぐりにありき。
やがて牢獄の影は、
老い立ち行く少年の上に蔽いかかる。
されど少年は光明を見つめ、その源を知り、
よろこびもて見守る。
若人は日々に東方の空より遠く旅すれど、
なお自然の祭司にて美しき幻影に
道すがら伴わる。
ついに大人となれば、幻影は消えて、
やがて尋常の日の光の中に溶け込む。
William Wordsworth 1770~1850
田部重吉 訳
「私たちの魂は、どこの星からやってきたのか・・・?」
誰もが強い関心を抱いている永遠のテーマではないだろうか?
「我らの誕生はただ眠りと前生の忘却とに過ぎず。」
いつの日か覚えていないが、3歳の誕生日を迎える頃、夢から醒めるようにして視界が明るくなっていったような気がする。
そして、家族や周りの人々の中に溶け込みながら「私」という存在に目覚め始めた。その瞬間に前生の記憶が、消えてしまったか、現生の光景に魅せられてすっかり忘れてしまったのかもしれない。
「われらの故郷なる神のもとより来りぬ。」
この世に生を受けるまで、あるいはこの世(地球)にいることに気がつくまで、朦朧とした意識の中で様々な思いをめぐらしていたに違いない。
「我ら幼(いと)けなきとき、天国はわれらのめぐりにありき」
子供の頃はとりとめもない夢をもって現生の光の下で自由に生きる。
「東の空より遠く旅すれど、なお自然の祭司にて美しき幻影に道すがら伴わる。」
自我に目覚める頃になると幸先の明るい人生のスタートラインを切る。
占星術における東の空は、第一ハウス(上昇点・春分点)にあたり新しい人生の始まりを示す。火星の支配下にあるおひつじ座(白羊宮)のナチュラルハウス(生来)でもある。
自我に目覚める思春期は、地球上のあらゆる生命が、目覚め復活する春の象徴とも言える。親元から離れて自立の道を歩む年齢期だ。
「ついに大人となれば、幻影は消えて、やがて尋常の日の光の中に溶け込む。」
ただ、年齢を追うごとに幻影(栄光)は消滅し、平凡な光の中におさまる。やがて結婚~出産~家庭をもち「私~私たち」になる。
「第一ハウス」の対極であり自分自身の鏡である「第七ハウス」へと移行する。共同責任だ。
Our birth is but a sleep and a forgetting:
The Soul that rises with us, our life's Star,
Hath had elsewhere its setting,
And cometh from afar:
Not in entire forgetfulness,
And not in utter nakedness,
But trailing clouds of glory do we come
From God, who is our home:
Heaven lies about us in our infancy!
Shades of the prison-house begin to close
Upon the growing Boy,
But He beholds the light, and whence it flows,
He sees it in his joy;
The Youth, who daily farther from the east
Must travel, still is Nature's Priest,
And by the vision splendid
Is on his way attended;
At length the Man perceives it die away,
And fade into the light of common day.
幼年時代を追想して不死を知る頌(しょう)
-五-
我らの誕生はただ眠りと前生の忘却とに過ぎず。
我らとともに昇りし魂、生命の星は、
かつて何処かに沈みて、
遙より来れリ。
過ぎ去りし昔を忘れしにはあらず、
また赤裸にて来たりしにもあらず、
栄光の雲を曳きつつ、
われらの故郷なる神のもとより来りぬ。
我ら幼(いと)けなきとき、天国はわれらのめぐりにありき。
やがて牢獄の影は、
老い立ち行く少年の上に蔽いかかる。
されど少年は光明を見つめ、その源を知り、
よろこびもて見守る。
若人は日々に東方の空より遠く旅すれど、
なお自然の祭司にて美しき幻影に
道すがら伴わる。
ついに大人となれば、幻影は消えて、
やがて尋常の日の光の中に溶け込む。
William Wordsworth 1770~1850
田部重吉 訳
「私たちの魂は、どこの星からやってきたのか・・・?」
誰もが強い関心を抱いている永遠のテーマではないだろうか?
「我らの誕生はただ眠りと前生の忘却とに過ぎず。」
いつの日か覚えていないが、3歳の誕生日を迎える頃、夢から醒めるようにして視界が明るくなっていったような気がする。
そして、家族や周りの人々の中に溶け込みながら「私」という存在に目覚め始めた。その瞬間に前生の記憶が、消えてしまったか、現生の光景に魅せられてすっかり忘れてしまったのかもしれない。
「われらの故郷なる神のもとより来りぬ。」
この世に生を受けるまで、あるいはこの世(地球)にいることに気がつくまで、朦朧とした意識の中で様々な思いをめぐらしていたに違いない。
「我ら幼(いと)けなきとき、天国はわれらのめぐりにありき」
子供の頃はとりとめもない夢をもって現生の光の下で自由に生きる。
「東の空より遠く旅すれど、なお自然の祭司にて美しき幻影に道すがら伴わる。」
自我に目覚める頃になると幸先の明るい人生のスタートラインを切る。
占星術における東の空は、第一ハウス(上昇点・春分点)にあたり新しい人生の始まりを示す。火星の支配下にあるおひつじ座(白羊宮)のナチュラルハウス(生来)でもある。
自我に目覚める思春期は、地球上のあらゆる生命が、目覚め復活する春の象徴とも言える。親元から離れて自立の道を歩む年齢期だ。
「ついに大人となれば、幻影は消えて、やがて尋常の日の光の中に溶け込む。」
ただ、年齢を追うごとに幻影(栄光)は消滅し、平凡な光の中におさまる。やがて結婚~出産~家庭をもち「私~私たち」になる。
「第一ハウス」の対極であり自分自身の鏡である「第七ハウス」へと移行する。共同責任だ。
Our birth is but a sleep and a forgetting:
The Soul that rises with us, our life's Star,
Hath had elsewhere its setting,
And cometh from afar:
Not in entire forgetfulness,
And not in utter nakedness,
But trailing clouds of glory do we come
From God, who is our home:
Heaven lies about us in our infancy!
Shades of the prison-house begin to close
Upon the growing Boy,
But He beholds the light, and whence it flows,
He sees it in his joy;
The Youth, who daily farther from the east
Must travel, still is Nature's Priest,
And by the vision splendid
Is on his way attended;
At length the Man perceives it die away,
And fade into the light of common day.
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